概説

メルボルンは、豊かな歴史を積み重ねてきた街。街中には、歴史ある建物やモニュメントが数多く点在しています。

元々は、先住民族アボリジニのクリン族系に属する、5つの言語に分かれる部族の人々が暮らしていました。そして、移民が入植し、50のテント生活から始まった町づくりは、1839年には人口70万人を抱える街へと急成長を遂げました。

アボリジニの歴史

ブンジルというオナガイヌワシの神が、この世に最初の人、川、山、そして動物たちや樹木に命を与えた― という先住民アボリジニの神話があります。すべては、自然と共に生きる、というのが、クリン族の教えです。今日、クリン族のBoonwurrung一族と Woiwurrung一族の人々

は、その思想をさらに強め、風習を守りながら、メルボルンの都会で暮らしています。

彼らの文化や思想に興味のある人は、オーストリア先住民の遺産を守る「クーリー・ヘリテージ・トラスト」やメルボルン博物館にあるアボリジニ文化センター「ブンジラカ」を訪れてみて下さい。また、王立植物園を散策してみれば、クリン族が代々暮らしてきた土地に、彼らの豊かな文化と歴史が息づいていることを感じられることでしょう。

最初の入植者

西洋から最初の入植者がポートフィリップ湾にやってきたのは、1835年。そして交易所が造られました。

世界遺産でもあるロイヤル・エキシビションビル(王立博覧会ビル)や受刑者たちの恐ろしい話が残るメルボルン・ゴール(メルボルン刑務所)を見れば、当時の歴史が垣間見ることができます。

また、フィッツロイ公園に移築されたキャプテン・クックのコテージからは、メルボルンの海洋史を知ることができます。クックは、最初のヨーロッパ人航海者として、オーストラリア東海岸の海図を製作しました。

ゴールドラッシュのブーム

メルボルンの人口が急速に拡大し、世界有数の都市になったのは1850年代のゴールドラッシュがきっかけです。

この頃、ビクトリア州では、不動産ブームが起き、遺産とすべき傑出した素晴らしい建築物が次々と建てられました。それは、今日でも街の中心部各地で見ることができます。郊外においても19世紀の珠玉ともいえる建物を数多く見ることができ、それらは「南半球の宝石」と称賛されています。

住宅とホームステッド(農場家屋)

メルボルンの住宅(家)は、建築デザインにおいても傑出したものが多くあり、それらは、ナショナル・トラストによって、歴史ある公園や庭園と同様に、重要なものとして指定されています。

また、贅沢なフレンチ・ルネッサンスに影響を受けたコモ・ハウス、トゥーラックの5エーカーにおよぶ公園に建つコロニアル様式の住居、そして、リッポンリー邸宅も、その素晴らしい建築でナショナルトラストの遺産となっています。これらは、オーストラリアにおける19世紀の偉大なる個人宅としてリストされています。

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